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2017年6月29日 (木)

テンジン・チョーギャルのこと

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「パティ・スミスのバンドやローリー・アンダーソンとともに、彼はヒマラヤに生まれた人々の深い哀しみや力強い愛を歌った。この夜、最も啓示的な音楽だった」(ローリングストーン誌)

「力強く、その超越した歌声と同じぐらい見たら微笑まずにはいられない その笑顔に感動した」(ビルボード誌)

沖縄ツアーのチラシに掲載された記事は、ニューヨークのカーネギーホールで歌うテンジン・チョーギャルの様子をレポートしたものだ。毎年のように来日している彼だが、昨年はパティ・スミス、フィリップ・グラスらとともにすみだトリフォニーの大きなステージにも立っている。パティらが呼びかけ人となって毎年カーネギーホールで開催されているチベット支援コンサートへは5年ほど前からほぼ毎年出演している。

シンガーソングライターである彼の音楽はチベットの保守的な層からは当初異端と看做されていたという。実の兄ダワ氏はチベットの伝統音楽、舞踊を受け継ぐTIPAのエリートだったが、本人は若い頃カタック・ケンドラでタブラを学んでみたものの性にあわず、20代の頃はオリジナルの歌を作ってダラムサラの町で歌っていた。その頃日本の歌手nanacoさんとも出会っている。

伝統的な弦楽器であるダムニェンにギターのネックを取り付けて改造するかと思えば、足を踏み鳴らし、聴衆を巻き込み、楽しげに歌う。若いミュージシャンであった彼は欧米人の女子からかなりモテたようだ。あるイベントで歌ったとき、一度に3人から告白されたという、そのうちのひとりが今の奥さんなんだ、と教えてくれたことがある。

結婚後移住したオーストラリアでは、最初の何年かは介護の仕事をしつつ音楽活動をしていたという。やがて音楽が評価されどんどん演奏の場が広がっていった。大きな音楽フェスティバルにも次々と呼ばれる。生活を支えてくれた介護の仕事を辞めて、音楽一本で生きていくようになる。寺原太郎とはこの頃出会った。タブラ奏者シェンの紹介だった。

演奏活動が波に乗ってきたとき、彼がスタートしたのは、チベットの文化を紹介するフェスティバルの開催だった。ブリスベンには発電所だった古い建物をリノベーションした「ブリスベンパワーハウス」という文化施設がある。その会場が数日間に渡って彼のイベントのために提供されることになった。数人のチベット僧がインドから招かれ、オーストラリア全域のチベット人アーティストやミュージシャンが一堂に会し、チベットの絵画、舞踊、砂絵曼陀羅、ワークショップ、映画上映、コンサートなどが行われていく。豊かな色彩とあたたかい支援に満ちたこのやさしい時間を毎年楽しみにしている人も多い。政治的な言論やデモ行進ではなく、チベットの文化の奥行きや魅力を伝えていく。それは彼の音楽と同じだと思う。

彼が紡ぐ歌詞は多くの言葉を費やさない。空を自由に飛ぶ鳥に、帰ることのできない故郷への言付けを頼んでみたり、般若心経を足を踏みならすロックに仕立ててみたり。隠喩に満ちた最小限の歌詞。ソフトな入り口から入った我々は、その奥にたたずむ深い哀しみと愛情を感じ取ることができる。彼の圧倒的な歌声の中に、チベット人であるという現実と伝統、そして卓越した歌い手としての能力すべてが現れる。

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